本名および旧芸名と同音の俳優の「二瓶鮫一」とは別人です。
ひの しょうへい
火野 正平
本名二瓶 康一(にへい こういち)
別名義二瓶 康一(旧芸名)
生年月日 (1949-05-30) 1949年5月30日(74歳)
出生地 日本・東京都目黒区
身長168 cm
血液型A型
職業俳優・歌手
ジャンルテレビドラマ・映画
活動期間1961年 - 現在
配偶者一般女性(1971年 - )※戸籍上は継続中[1]
一般女性(1982年 - )※事実婚[1]
主な作品
テレビドラマ
『国盗り物語』
『必殺シリーズ』
『長崎犯科帳』
『服部半蔵 影の軍団』
『長七郎江戸日記』シリーズ
『混浴露天風呂連続殺人』シリーズ
『八丁堀捕物ばなし』シリーズ
『ジャングル / NEWジャングル』
『芋たこなんきん』
『anone』映画
『ええじゃないか』
『極道の妻たち』シリーズ
『終戦のエンペラー』
『罪の声』アニメ
『君たちはどう生きるか』Vシネマ
『新・麻雀放浪記』シリーズ
バラエティー番組
『にっぽん縦断 こころ旅』
備考
体重56kg
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火野 正平(ひの しょうへい、1949年〈昭和24年〉5月30日 - )は、日本の俳優・歌手。東京都目黒区生まれ。シーズ・マネージメント所属。 東京で生まれ、中学・高校時代に大阪在住[2]。 12歳のころから『劇団こまどり』に所属[3]。 1966年『わんぱく砦』に出演しファンレターが1日に山のように届くほどの人気を集めたが、人気はすぐに無くなり、この世界の厳しさを知ったという[5]。また制作会社社長から「視聴率がアップしたらギャラを上げてやる」と約束されたが、実際には番組が好調で視聴率が上がれど、ギャラが一向に上がらないことに怒り、社長に直談判したが、逆に嫌味を言われてその社長を追い回した[6]。同年には佐伯幸三監督、加山雄三主演映画『何処へ』で映画初出演を果たした。 1971年から、『おれは男だ!』、『刑事くん』などの端役、『太陽にほえろ!』などにゲストで出演した。 1973年、1965年度のNHKの大河ドラマ『太閤記』で緒形拳がブレイクしたことで、第二の緒形を作るべくNHKの指示で改名[7]、池波正太郎が名付け親となり[2](「火のように力強く」から火野、池波正太郎の「正」から正平[8])、「火野正平」として大河ドラマ『国盗り物語』に羽柴秀吉役で出演、当たり役となり人気を集めた[2][4]。同じ事務所の近藤正臣が『国盗り物語』で明智光秀を演じることが決まり、「サル(秀吉のあだ名)ならうちの事務所にも居ますよ」と事務所の人間がNHKの関係者に紹介し出演が決まった[7]。 1974年、舛田利雄の監督作品映画『俺の血は他人の血』で8年振りとなる映画出演、初主演を果たした。また同年日本テレビで放送された『傷だらけの天使』では水谷豊が演じた乾亨役でほぼ出演が決まっていたが、スケジュールの都合で出演できなかった[9]。 1977年『新・必殺仕置人』、1980年『服部半蔵・影の軍団』、1983年からの『長七郎江戸日記』、などの多くの時代劇や映画、2時間ドラマに出演した[2]。 2011年からは日本全国を自転車で巡るNHK BSプレミアム『にっぽん縦断 こころ旅』で旅人を務め[2]、その姿が中高年を中心に人気を集めている[2]。 2012年、ハリウッド映画『終戦のエンペラー』で東条英機を演じ[10]、2018年日中合作映画『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』に出演するなど海外作品でも活躍している。 2019年、『釣りバカ日誌?新米社員 浜崎伝助?瀬戸内海で大漁! 結婚式大パニック編』にゲスト出演、以前から似ていると評判になり、隠し子説が囁かれることもあった濱田岳と初共演した[11]。 2021年、映画『罪の声』で第30回日本映画批評家大賞授賞式でゴールデン・グローリー賞(水野晴郎賞)を受賞した[12]。 2023年3月、約14年振りとなる新曲『あかんたれ』を発売、また初となる全国5ヵ所でのライブツアー『火野正平ライブツアー2023』を開催することが発表された。 2024年春、『にっぽん縦断 こころ旅』春の旅ロケを鹿児島県から開始したが、翌週放送される予定だった熊本県でのロケは延期となり、前年秋放送分の再放送に差し替えとなっていた。同年4月30日、番組公式ホームページで、持病の腰痛悪化を理由として春の旅を中止することが発表された[13]。 青年期には、必殺シリーズ等でプロデューサーを務めていた仲川利久宅に居候していたことがあり、仲川は火野の結婚式で仲人を務めた[14]。 何かとワイドショーを騒がせていた時、山ア努を中心に[15]、当時『新・必殺仕置人』[16]の撮影後にスケジュールを合わせて火野を飲み屋に連れて行き、「火野正平を更生させる会」と称した飲み会を開いていたという[17]。しかし火野によると会の名前だけが一人歩きしたもので、説教されたことは一度もなく[15]、むしろ酒癖が悪くケンカをする山崎や中村嘉葎雄らを火野が仲裁していたという[15]。また当時山崎とは野球をともにする仲であった[18]。 幼少期から継続して犬を飼っており、「彼女がいない時期はあっても、犬がいない時期はありませんでした」と言うほどの愛犬家で、最多で同時に9頭、2023年現在でもニューファンドランド2頭を含む3頭を飼育している[19]。
来歴
人物